不動産施工・販売・建物管理・賃貸管理会社倒産


今回から数回に渡っては、バブル期前~バブル期( 1986年12月( 28歳 )~1989年3月( 30歳 ) )にかけて、私がM社という会社から続けて区分マンションを買っていた時代の失敗談を中心にお伝えします。

写真は、M社から購入した東長崎駅近物件、上北沢駅近物件、博多駅近物件、千歳烏山駅近物件、初台駅近物件です。

この頃買った物件は、ローンが終わる時期を迎えています。前回のコラムで紹介したとおり、この物件を所有している間にも、私は様々なピンチを経験しました…。
今回のコラムの内容は、その当時のエピソードのひとつです。

私は、今でこそ、いい物件と思えば、即決に近い状態買いを決断しますが、初めての時は慎重でした。
不動産についても3ケ月位勉強し、ついでに宅地建物取引主任者(現:宅地建物取引士)の資格も取得しました。

最初に買ったのは、M社というワンルーム投資で有名な不動産施工・販売・建物賃貸管理まで行う会社の物件でした。 購入前にM社を訪問した時は、担当者をつかまえて、5時間位質問攻めにしました。決算データまで教えてもらいました。

「 万一、M社が潰れたらどうなるのですか? 」と聞くと、「 所有権は購入者になりますし、立地・物件さえよければ、建物賃貸管理をしてくれる業者はいくらでもあります。何なら私がやります 」との返事でした。

そして1986年( 28歳の時 )、西武池袋線の東長崎駅近くに初の投資物件を購入しました。
女性専用・ピアノマンションというのがウリの、新築ワンルームでした。ターミナルの池袋駅までは2駅。東長崎は友達も住んでいましたし、池袋は通っていた学校がある場所で土地勘があったのも決め手になりました。

未だバブルの兆しもなく、価格も1,210万円と、( 当時としては )リーズナブル。頭金は130万円で残り1,080万円はローン。持ち出しは1万円位でした。

この頃の不動産経営の考え方は、月1万円の貯金で、ローンが終わった暁には、物件は完全に自分のものになり、家賃がほぼまるまる手に入るというものでした。

月1万円の持ち出しだと、ローン期間の25年間では、300万円の持ち出し。
頭金130万円と合わせて430万円で、1,210万円のマンションが手に入ればいいという感覚だったのです。( 話を分かりやすくするために、諸経費は除いて考えています。 )

更に、一括借上げ契約の想定家賃は、更新毎に3~5%づつ上がることを見込んでいました。当時は、日本の物価は上がり続けるという前提で、不動産市場も動いていました。

しかし、1990年、不動産融資禁止令、バブル崩壊!!

ある朝、妻が読売新聞を持って、私を起こしにきました。
1面には、「 M社倒産!! 」の文字が。

バブル崩壊に伴い、他の不動産会社がそうだったように、私が物件を購入して管理までお願いしていたM社も経営が成り立たなくなったのです。

M社は、国内投資物件のみならず、リゾート物件、海外物件、絵画小口分譲にまで手を出していました。あとから聞いた話によれば、新聞が出た日はオーナー等からの問い合わせ電話が殺到し、オフィスはパニック状態だったということです。

その後、M社の物件にはマイナスイメージがつき、物件の価格は他社の物件以上に大暴落しました。

不幸中の幸いで、M社の国内都市物件の建物・賃貸管理業務は順調でしたので、他社からの支援もあり、会社更生法適用を受けながら、再生することができました。

私も大きな被害は受けずにすみましたが、リゾート物件、海外物件、絵画小口分譲などを買っていた方は、大変だったようです。越後湯沢、ハワイ、ニューヨークの物件、ルノワールの絵画小口分譲も検討中だった私は、まさに首の皮1枚で繋がったのです。

ところが、ホッとしたのも束の間。その後、札幌の「 ひばりが丘駅近くの区分物件 」において、別の不動産施工・販売・建物賃貸管理会社・一括家賃保証会社の倒産・夜逃げという事態に遭ってしまったのです!

不動産会社は売買差益狙いの企業ではなく、賃貸管理中心の安定した企業を選ぶことが重要です。



このページの先頭へ